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日記です。文章をテーマとすることが多いですが、その他もろもろ。

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 ファミマ・ドット・コムから、アニマックスオリジナル「銀河鉄道999セル画入りスペシャル楯」が出た。
 
 なるほど、コンシューマーは我々の年代だ、と感心した。
 
『銀河鉄道999』は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にタイトルを似せたドラマである。もちろん中身は全然違う。
 
 メカニックデザインに執着する松本零時マンガのひとつの到達点、それが『銀河鉄道999』だと思う。
 
 なにせ「機械の体をもつ」ということが善悪含めてテーマの主要な柱となっている。
 
 機械の体、と言う事では、石森章太郎(後に石ノ森章太郎)の『サイボーグ009』がなんといっても日本SFマンガ史上の嚆矢ではあろう。(その前に、平井和正原作の『エイトマン』があり、これは実はサイボーグ的なキャラなのだが、まだ当時はサイボーグの概念がSF愛好者にすら難しかったことからスーパーロボットとしてエイトマンの設定を作った。その後に、『サイボーグブルース』という小説で平井はくすぶっていたものを吐き出したわけだが、ぜんぜん本稿と関係ないので説明は割愛)
 
 サイボーグ、というとかなり生々しい感覚がある。臓物のイメージがかぶさる。否応なく人間ドラマがどろどろ生まれそうだ。
 
 そうではなく、単純に、機械と人間という対立軸と調和の可能性を問おうとしたのが、松本の『銀河鉄道999』ではなかったか。その意味では手塚治虫の『鉄腕アトム』の心底のテーマの後継作品が『銀河鉄道999』だったのかも知れない。もちろん、作者同士は後継だとかなんだとかは考えていなかったろう。
 
 『銀河鉄道999』を子どもの頃に見た者は、『鉄腕アトム』や『エイトマン』『サイボーグ009』は直接経験していない。だが、『銀河鉄道999』に至る前に積み重ねられた日本SFマンガの底に流れる言いしれぬ寂しさ、人ならざる者の哀しさを、行間(コマ間?)から感じた事だろう。
 
 それは若き日のみに許された感傷でもある。虚空の現実である物語に感情移入できるのは、若者だけに許された特権である。(中年になってまだ感情移入できる私も、戸籍年齢はともかく、若者である)
 
 その感傷を残す者たちへのプレゼントのひとつが、「銀河鉄道999セル画入りスペシャル楯」だろう。ある程度資力を得た年代が買いそうだ。私ならどうだろう、113話「青春の幻影・さらば999」の楯に興味を惹かれる。


 
 ドラマの中のセリフだけで言えば、青春の幻影とはメーテルのこと。
 
 松本マンガに必ず登場する美女顔であり、なかなかそこいらへんにはいない。(私の職場にはいた。いやもうすごい美人だったが……)
 
 この、青春の幻影を、ただ、きれいなおねーさんにあこがれる若者のイメージ、と捉えると大事なものを見失う。
 
 本当の青春の幻影とは、『銀河鉄道999』そのものを言うのである。未知の世界へのあくなき探求。その底には、希望の光(このドラマの場合は機械の体、だったが)を求めることが動機づけとなっている。すなわち、終わりのない戦いと旅。それは我々すべての人生でもある。
 
 我々が『銀河鉄道999』に感激するのは、そこに我々のこれまでとこれからを投影するからである。幻影と知りつつも、求める何かを、常に我々はもっているはずだ。




 
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