日記です。文章をテーマとすることが多いですが、その他もろもろ。
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大学に進み初めて親元を離れた。違うまちで暮らし始めてすぐに手紙が届いた。生まれて初めてもらう父親からの手紙だった。
「ひとつ、健康に気をつけること。ひとつ、学校でちゃんと勉強すること。ひとつ、金がなくなる前に連絡すること……」
さながら道場訓のような、あるいはお買い物メモのような、飾り気のない単文が次々と並んでいた。
「……洗濯は、風呂屋ですること」
若干の説明を要する。風呂屋にコインランドリーがついているはずだと、親戚から聞いた父親が、そういう背景説明を一切省いて、要点だけを述べたのだ。だがこれでは、風呂場でパンツを洗えと言っているようだ。
父親の最終学歴は小学校だった。頭はしかし悪くない。むしろ切れるほうだ。なのに届いた私信はからっきし下手くそだ。意外だなと驚いた。
形式張る必要はないとは思うものの、手紙の書き方には最低限の共通様式があり、それはたとえ中身が絶縁状であろうとも守るべきものだと思う。文章力に多少の難があっても、形式を守っている手紙には教養を感じるものだ。 逆に手紙マナーが崩れていると、どんなに差出人がすばらしい人格の持ち主であっても、知恵が回る才人であっても、浅学な野人と見られてしまう危険性がある。
我が父親ながら文章がこれでは困るなと思っていた。それから30年ほど経ったある年、齢70を超え永らく勤めた会社の会長に就任してから、急に父親はパソコンを独習し始めた。いまだにパソコンを導入していない会社のためを思い、様々な帳票を作るのが目的だったのだ。
それから数年後、父親は癌で他界した。家族と仕事のために尽くし抜いた一生だった。 葬式の準備をするため父親の身の回りを整理して驚いた。ノートパソコンには自分の生い立ちからの記録をぎっしりと入力し、入院していたときに使っていたノートには、日々の病状とそれに伴って変化する自分の気持ちを記していたのだ。 たぶん、古希過ぎてパソコンを始めたことがきっかけとなり、「道場訓」や「お買い物メモ」のレベルではない、まとまった文章を書くようになったのだろう、と私はそのとき思った。
闘病中のノートには、家族へのメッセージも書かれていた。母や妹、孫達へ。何ページにも渡って、父親の人格がノートの中に一種の手紙として結実されていた。 長男である私に対しての言葉が、しかしなかなか出てこない。書く時間が残されていなかったのかと思いながらノートをめくった。家族への文はノートの中央あたりのページまで続いた。
その最後の一行に、あった。私宛の言葉が、こう記されていたのである。
「母さんを頼んだぞ」
父親が私に宛てた手紙は、いつも「道場訓」になる。その本当の理由を、そのとき悟った。
父が単文でしか私にメッセージを伝えないのは、手紙の書き方を知らないからではなかった。語りたい思いがありすぎて多すぎて、その結果短い文章しか書けなかったのだ。不器用な、昭和ひとけたの男。
私はその「道場訓」をいつまでも見つめ続けた。
(了)
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